共感だけではできないこと
共感、”他人の気持ちや感じ方に自分を同調させる”ってこと。
相手がつらいって言ってたら、相手がつらい思いをしてるんだって思ってるだけでなく、自分自身もつらい気持ちになる。
これだけで足りるのだろうか
演劇を通してキャラクターを作っていたら気づいた。
その人に共感だけではなくて、その人のバックグランド、持つ感情の全てを理解していないと作れない
それは私たちが普段の生活を過ごしている中でも言えることだなって思った。
最近人間関係がうまくいかないなって思うことがある。
今までは中高一貫校の中で、周りが元々ある状況似ていたり、自分の在り方形成(青年期に行われるから)をしていく中で同じ環境だから、中学の頃や大人の世界に対する戸惑いはともかく、高校生になった途端、そんなことに悩むことは少なかった。
だけど、今年は沢山違うバックグラウンドを持つ人と沢山関わることが出来たから。
共感は足りていても、その人のことについて知れなかったり、どういったスタンスで生きているのか、どういった背景でどういった心の持ち用なのかがわからない。だから、自分は理解していると思っていても、なかなか相手への共感の先の段階にいけないことがある。トラブルが起こることだってある。
そこで昔友人に言われたことを思い出した。
「話聞いてくれる存在とか、共感してくれる存在はいくらでもいる、私がほしいのは私の背景と足跡を見てくれる人。」
ああ、1人1人に心と心がくっつけていけるような、寄り添えるような存在になれたらな
映画の中のトラブルはだいたいコミュニケーションだって言われる、昔はなんでそうなのかはわからなかったけど、今なら少し理解できるような気がする