電車内の広告を見て
こんにちは、日本に一時帰国しているミカソです:)
昔から広告を見るのが好きでしたが、高校生の頃からいつの間にか電車内の広告を見て不快感を抱くようになりました。特にきっかけがあったのではなく、ただ学校または自分でフェミニスト思想だったりと“強い女性像”を学んでいくうちにそうなっていきました。
そして運よく今は大学でメディアの授業の中で広告を研究している先生のもとで学んでいます。
今日は電車内の広告について独り言みたいなブログです。
昔の私がよく不快感を抱いていたのは脱毛の広告。
ぼんやりとなんのために、なんで女の人って脱毛しないといけないのだろうって思っていました。
高校生の頃はよく友達が水着を着るためだとか、夏の肌の露出のためだとか、異性の目を気にしてだとかというので脱毛したいと言っていたから私もなんて思ったけど、今よく考えてみると脱毛が自分ではなく他人のためってなんだか馬鹿らしくなった。脱毛するくらいなら、それを気にしないパートナーを見つけてやるねん。
そして、今帰ってきて、新たに目についたのがゼクシィの広告。電車内にはいつもその広告があり、テレビをつけてもよく流れている。
メインキャラクターは当たり前のように、可愛いウェディングドレスを着た女性。なんで一人の女性がいつも結婚関連の広告のメインになるのだろう?結婚は二人の責任なのに。男性も結婚して結婚式をあげたいって言う人ももちろんいると思うし、なんでいつも女性?目を引くから?なら男性のタキシード姿もかっこいいと思う。それか、もしかするとこれは女性の同性カップルを想定してこうなったのか?なんて思う時もあるけど、だったらタキシード姿でもいいのではないかって思う。
技術決定論の観点から見ると、メディアとか広告とかは社会に影響を与えるから、こういった何気ないように見える広告も簡単に文化として根付いてしまう。
また、社会決定論の観点から見ると、これらの広告は女性は綺麗に見せなければならないという暗黙のルールから成り立っている。
電車内の広告ってみんな普段もっともよく目にしている広告だからそれなりに影響力はあると思う。だけどみんなぼんやりと眺めて、“ああ、そうか。”とそのまま鵜呑みにしていることが多くて、なんだか悲しい
今日はまた独り言みたいなブログでしたが、皆さんも是非電車の中の広告に注目してみてくださいね、案外面白いかも:)
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