micasso’s diary

Welcome to my page!!イギリスの大学に通う舞台演出家志望の20歳による日々思ったことや留学情報についてのブログ

2021

「もう大晦日、あっという間だ」とつぶやくのもここ数年の定型文。

 

2021年は

沢山知らなかった感情を覚えた。

沢山違った景色を、同じ状況でも立場を変えることで見れた。

沢山人に頼って、頼られて、人との繋がりが私を強くした。

沢山もがいて、やっと居場所や好きなものがわかってきた。

沢山のめりこんで、自分らしくなると同時に新しい目標もできた。

 

初めての監督・演出・脚本を担当したオンライン演劇作品を制作した1,2月、自分を見つめなおし今後の軸を決めた3月、照明デザイン・マーケティング・役者として授業で作品を制作した4,5月、演劇ワークショップとキャリアワークショップを作った6,7,8月、サークルの会長を務め始めた9月、某劇団のアシスタントプロデューサーとして制作始めた10月、博士課程のプロジェクトに主演として参加し始めた11月、音響・マーケティングとして授業で脱出ゲームを制作した12月。

 

何かと結果には芽が出なかった1年だったけど、なんでもチャレンジして、21年間で1番演劇漬けの1年間だった。(2021年は演劇漬けにしたいと思ってたので、無事有言実行!)

そんな目まぐるしい日々だからこそ、

少し自分のことが好きになった。少し自分のことが嫌いになった。

わかることが増えた。わからないことが増えた。

世界が綺麗に見えた。世界が汚く見えた。

でも毎日がとにかく愛しくて、手放しくないと思った。

 

2022はきっと大切に蒔いた種に芽が出ると信じて、

過程の中で本質を知り、違和感を覚え、新しい定義を創造していきたい。

 

2022もよろしくお願いします。

 

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「誰もが自分らしく」の難しさ

リーダーをすることが増えて、それと同時に他のリーダーを見ることも多くなって、今日はこの経験からここ最近考えていることを言語化しようと思う。


成功もあって、失敗もある。そしてたまに私の頑張りが否定されたような気がしたけど、当たり前に落ち込んで、そして当たり前にモチベーションになるという、今の私のいい所であるサイクルが、たとえどんな経験も演劇に繋げれるようになった。(今日もそうなんだけど、よくリーダーの経験があると、すぐに舞台監督とかに繋げてしまう笑)

少し噛み砕くと、「リーダーとは何だろうか」「人を支えるとはなんだろうか」というのが今の私の課題、または考える必要があると思う。

よく「誰もが自分らしくなれる場所を作りたい」を自分の目指す演劇のあるべき姿を言う私だけど、メンターの時は、例外をうまくコントロール出来ずに終わってしまうことがあった。その時に、「マイノリティを大切に唱えてる私がマジョリティとなってマイノリティを退けている」と思った。何でもっと考えなかったのだろう、寄り添えなかったのだろうって。


個別に話を聞いて、その人に解決策に提案したり、その人に寄り添ったりすることは出来たとしても、団体において1人1人のポテンシャルを最大限に引き出すことが難しく感じる。まだ走り出しの組織では、心理的安全性のある場所を届けようとして、雰囲気を作っていても、それが「みんなで高みを求めて創り上げていく」というよりも「みんながそれぞれ自分の出来ることをしよう」というものになりがち。もしくは、責任やアイデア全てがリーダーに全集中してしまうことがある。話しやすい場(もしくは話を聞いてくれる人がいる場)が出来ても、挑戦の場にはならない。成長にならないし、新たなものを生み出すこともできない。それにはきっとリーダーが目標設定一緒にしたり、曖昧でなく、現実味のある導きや数字などを示さないといけないのだろう。

 

「誰もが自分らしく」ってすごく難しいと思う。

誰もがってどこまで気に掛けるべきなのだろうか。もうここまでくるとリーダーの管轄内ではない気もしてくるが、きっと最低ラインは準備しておかないといけない。例えば、その場の環境や雰囲気を整備するとか、そういった文化を作るとか。きっとベース作りに真摯に向き合っていかなくちゃいけない。

そして本当の自分らしさとは何だろうか。ただ意見が言えて「今ある自分を出す」ということではないと思うし、私個人の解釈では「今の自分を好きになる」ということではないかと思う。日常は演じがちだから、その自分を認めて好きになることはとても大切だと思う。自分を大切にしたうえで、さらに自分が欲しがるような高みを目指していけたらいいな。じゃあ、「自分を好きになる」ためにはどうすればいいのだろうか。

 

そう考えながら、まずはベース作りをしながら、インプットしていくとするか。

 

ミカソ

違和感

ここ最近、というかもう考え出してから4か月くらい経つ、違和感がある。この違和感に賛否両論はあるんじゃないかなと思うけど、私なりに大切にしていきたいと思った違和感だからブログに書こうと思う。

 

 

①「演劇が好き」という違和感

演劇の全てが好きだと思っていたけど、本当は好き嫌いが実在していた。最初は納得いかなくて、落ち込みもしたけど、ネガティブな感情は何かとクリティカルにしてくれるので、受け入れることにする。

演劇を知れば知るほど、演劇界隈の方と出会えば出会うほど、仕事としてしたい演劇、セオリーとして知りたい演劇、娯楽として好きな演劇など、私の好きな演劇にいくつもの種類が入り混じっていることに気が付いた。多分内部の軸の違いから成るものだろうか。

だからなのか、今までは「演劇」という枠組みだけに踊らされていたから、いざ何かしらのプロジェクトを深掘っていくと違和感を覚えてしまう。確かに私の好きなことだしやりたいことではあるけど、もっと違ったアプローチの仕方だったらもっと自分は楽しめたのかな、もっとモチベを持って実践できたのかななんて考えてしまう。

そして、「演劇」というもの(種類問わず)自体はすごく好きだけど、まだ本当の好きがわからないと思う。演劇で「これがしたい!」というのはあるものの、まだ知らない世界が沢山あるからこれは暫定的な好きで、不満を満足にするためのようなものではないかと思う。

コロナウイルスのせいにはしたくなかったけど、やっぱり大学に入って実習はあるものの、本来得られるような学びが出来ていないような気がする。オンライン演劇がしたかったり、人に寄り添った演劇がしたかったり、もしくはしてる。本来舞台照明や美術がしたかった私はこれを期待せずに大学に入ったが、コロナの状況下で満足の出来る舞台照明や美術の作業ができないからこそ好きなのかって永遠に自分に問い続けている。実際にする機会が増えたら、また興味が移るのかなとワクワクと不安が交互に来る。

ただ今は「好きなものに対して素直に好きでいる」のも、「好きに疑問を持つ」のもどっちも好きにまっすぐにいるための行為だと思うようになった。

 

②思考の違和感

「演劇が好き」の違和感の延長線上のようなものだけれど、たまに演劇人(この場合は自分が学んでいるイギリスではなくて、学問的な演劇があまり普及されていない日本なんだけど)と話していて、溝のようなものを感じることがある。

「なぜだかわからないけど、心地が悪い」という感覚がある。例えば一緒に働くと、私らしさが削られて、演劇が好きでなくなりそうな感覚。(うまく言えないなあ)

ここ数か月、日本にいる演劇人や劇団と関わることが多くあって、演劇やパフォーミングアーツについての思考の違いをすごく感じる。演劇自体のとらえ方、モチベーションの基、やり方の違いとか。日本の演劇界だなんて、私のよく知らない世界だからこそ探求していかないといけないのに、私には少し厳しい気がする、溝が少し深い。

きっと昔の私なら無理やりにでも参加して自分のものにしていくのだろうけど、「もっと自己中心に生きてもいいんじゃないのかな」って今は思う(もちろん他人の意見を聞いて心に留めるのが前提なんだけどね)。自分のやりたいことや思考が大勢からは共感されるけどやろうとはされない、もしくは”そういうものなんて無理でしょ”って否定されてしまう、出る杭は打たれるような世界だからこそ、私は染まらずに自分の思考を持ち続けたいというわがままを選択する。なければ作ればいいし、模索しながらも沢山の発見はあると思う。こういった自己中心になることによって失うものもあると思う反面、自分らしさは確立していけるのではないかとも思う。ある意味違和感は強みとも捉えることが出来るのではないかと。

 

 

この2つの違和感を正直言語化するのはとても難しいし、多分自分の色んな要素と交じり合ってとてももやもやする。だけどそんな違和感たちを大切にしていくべきものだと思った。違和感から何か新しいものや気づきが得られるんじゃないかと信じている。

 

月と太陽

「月になりたい」

そう今までの私は思っていた。

太陽よりもなんだか地味で影的な存在と感じていた。

 

ただふと気づいた。月は太陽の存在があるからこそ自分のことを輝かされる。「私は裏方ですよ」って言いながら主役的な存在。

 

だから21歳になった私は「月ではなく太陽みたいな存在になりたい」と決めた。20歳は周りの人に照らしてもらうことが沢山あったからこそ、21歳は周りの人を照らせるような存在になりたい。色んな発見があった去年だからこそ、今年は大切なものをもっと大切にしたいと思う。

 

ミカソ

2021.07.04

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この思考に至ったきっかけ:

最近高校生向けのキャリアについて考えるコンテンツを作っていて、自分が中高生の時一体何を考えてたのだろうかと振り返っていたら、中学三年生の時に弁論大会で「人を輝かせれる人になりたい」と語ったのを思い出した。

多分今の私の軸を作っているような発言なのに、長い間忘れていた。でも思い出した途端、原点に戻ってきた気がする。物理的に人を輝かせること(舞台照明)に憧れていた中学生の私だったけど、今の私を少し予測している気がする。自分の作ったテーマを意識していなかったつもりだけど、実は無意識に自分のどこかに存在するわけで、ただ単に「舞台を創ること」から始めた私の学びは、いつの間にか「メンバー1人1人が自分らしく輝けるような制作現場にしたい」というものになっていた。裏方を目指し始めたのは「人をさらに美しくすることが出来るから」、それは何か外部のもので増すことだけじゃ足らずに、人の内部から引き出すものだった。

だから裏ボスみたいな月ではなくて、舞台監督の授業でも先生が「舞台監督の雰囲気で制作チームが変わる」と言ったように、太陽になって自分から原動力を広めたいし、人から支えてもらった倍以上に人を輝かせたいと思った。

 

やっと

2021年5月28日

演劇学部に入学して早一年、やっと初めて板上に立てた。初めて演じて、初めて舞台を作った。

過去に高校のページェント劇で演じたことがあるから完全に初めてとは言えないが、過去の経験は忠実に決められたセリフや演技でキャラクターを再現するもので、今回が初めて自分でキャラクターを作ったと言える。演じることにおいても、創作においてもとても新鮮で、なぜか授業の試験なのにとてもワクワクした笑

軽く説明すると、授業から与えられた課題内容はデカメロンの100話のうちの1話をリメイクするということだけ。1クラスを1カンパニーとして扱い、役者、脚本、演出、舞台美術、小道具、コスチューム、照明、音響、音楽、監督の全てを自分たちだけで1つの作品を作り上げていく。13人しかいないクラスだから、もちろん1人の生徒につきいくつかの役割を持つことになって、みんながそれぞれの役割を持って、1つに融合していく。クラスメイトたちと一緒に作った80年代のドラッグショーのコンセプト、私は主に役者&照明デザイン&ポスターデザイン担当という三足の草鞋を履いた。そこで色々思ったことがあり、簡単にでもブログに書き留めたい。

 

初めての役者をして気づいたこと

・役者をしてると本当に裏方にはない目線が出来て、これから裏方するのにあたってのコミュニケーションの取り方とか、事前に準備しておくべきものとか、よりスムーズに出来そう。今までのように裏方は裏方だけしてれば足りるって安易な考え方をしてはいけなかった。

・声の通し方から、表情、体の向きと動き、舞台上の移動など、ただ単にセリフに声や動きを乗せるだけではなく、観客の目の前で行うからこそ常に後の行動を考えなければいけない。

・小芝居が難しい。自身がどんなキャラクターで、他のキャラクターとどんな関係性にいて、どう思っているのかを想像しながら演じないといけない。ストーリー、時代背景などの理解度ってここに出るんだなと思う。

・劇中に色々気づくことや、今までの積み重なってきた経験が顕著にその場の演技に表れてしまうから、毎回の演技やセリフのしゃべり方、感情の入り方が異なってきて、「ああ私ってこのために何回も同じ公演を観るのが好きなんだ」と感じた。

 

初めて板の上で作品を作ることで気づいたこと

・稽古場と実際の劇場に入った時の雰囲気が全然違う。

大きさが違うとCOVID-19の状況下もあって、劇中に2mのソーシャルディスタンスを保つために劇場に入った途端全部動きと立ち位置を覚えなおしになってしまう。本番直前まで頻繁に変わってたからたまに違う方に退場してしまうことも。

あとは緊張感、劇場に入って初めて他人に自分のパフォーマンスを観られることを意識して、演じるのをとても楽しく感じた。

・みんなで創り上げるって本当に今までリーディングして学んだことみたいに、他人の状況を理解する力(共感性)を持つことで、違った役割でも一体感に導くことが出来る。

・それぞれ違った役割や責任を持つことで、より自己肯定感が得られやすいうえに積極性が測れる。例えば、クラス全員の中で出しゃばりにくいことに罪悪感を感じてしまう私がついつい大勢の持つ責任に安心してしまう部分がある。でも、照明チームミーティングになると自分から進んでメンバーとプランを進めれたり、ポスターのような広報関係も自ら関係者に連絡するとか。細分化されるからこそ自分の担当にフォーカスが出来て、より自信持ってグループに属している感がある。

・やっぱり生の舞台っていいな、劇中に舞台裏に戻った際に励まし合えるうえに、すぐにでも改善できる点を指摘しあう。セットを組み立てたり、照明を操作できたり、話す間をうまく利用できたり、細かい芝居が出来る。

 

 

様々な気づきたちはこの状況下でやっと念願に出来たという喜びと初めてのワクワク感が相まってるのもあるが、これから何かをする度に再確認して確立していくのではないかとも思う。稽古期間中は演技を指摘されることやあんまりずばずば意見を言えないことから憂鬱で稽古行く前に号泣したこともあるけど、実際に劇場に入ってからやっぱり演劇って好きだなと感じるから。そして、全てを通して、自分なりの役割を導き出せて、作品自体の理解を自分なりの理解や想像で広げていくことって凄く楽しいし、永遠に心が躍る。だからこれからもさらに楽しみだ。

 

ミカソ

 

花束のない君へ

皆さんお久しぶりです、ミカソです:)いかがお過ごしでしょうか!

 

実は私、劇団ノーミーツさん主催の「全国学生オンライン演劇祭」に応募するために、11月から2月末までオンライン演劇をしていました。

これを機に初めてのオンライン演劇の制作に関わり、そして、初めての監督・脚本・演出を担当しました。

結果から言うと、残念ながら決勝には行けず、観客にライブ配信での演劇を届けることが出来なかったが、私の中では決して「残念ながら」ということではなくて、今の実力と本当の好きを知るようになった4か月間だった。

 

今日は制作のの話と私の葛藤の話、そして感謝の言葉をブログにて沢山の言葉を綴りたいと思います。

最後に制作した演劇の動画リンクも掲載しているので、是非ご覧ください!!✨

 

(演劇祭についてこちらのリンクをご覧ください↓)

 

 

 

制作を始めるきっかけは本当に思いがけないところから。

 

10月末、私の大好きな劇団ノーミーツさんが演劇祭をやることをツイッターで知ることになったけど、1人ではなかなか踏み出せずにいました。

だけど、たまたまインターンてた会社で「演劇に関わりたい」という話を面談で友人Eにしたところ、演劇に興味あるKを紹介してくれて、はじめましてのKが「劇団ノーミーツって全国学生オンライン演劇祭やるみたいだよ」という話を持ち出してくれた。その場すぐに今までの私の葛藤はなんだったんだろうかというレベルで「やろう!!!」と前向きになり、それからとんでもないスピード感で2週間もしないうちに会社内でオンライン演劇ワークショップをして、メンバー集めから始めることにした。そんな11月の中旬。

 

そうして集まったメンバーは10人。日本国内で勉強してる大学生、海外で勉強してる大学生、海外のオンライン授業を日本から受けている大学生、そして高校生。日本で住んでる場所も違うし、海外なら大陸までもが異なってる(笑)今回が初めて演劇に触れた人から演者経験のある人まで。

※ただこの人数で生活してる時間帯も違うから、全部が終わった今でも10人全員で集まったことがない(笑)オンラインでもいいからみんな集まってる場を観てみたい

 

こんな調子で順調に進めれるのかなと思いきや、もちろん上手くいけることがなく、役者たちには12月中旬にクランクアップする予定って宣言していたのに、12月中旬に脚本制作と同時進行に稽古を始めるのが精いっぱいだった。

気づけば「あれ?これ本当に〆切までに本当に作り切るのだろうか?」って不安を抱えながら、年末年始ずっと共同で脚本演出をしてくれたKと脚本会議を。1時間でやるつもりが、3時間でも終わらない、気づけば深夜3時だ…みたいなこともしばしば。当時は本当に焦りしかなくて、でも焦っても納得のいくアイデアも出てこないし、話をどう進めるのかもキャラクターの背景どうなのかもわからず、遠くの完成のゴール(〆切)が見えているのに、まだスタート地点からの道の線すらもぼやけているような状態だった。みんなの意見や本来の素質を取り入れようと思い、脚本がしっかりしないまま稽古が進むから、本当のセリフが確定できないまま1月になってしまい…

そんな中、有難い(?)ことに、なんと演劇祭の〆切が1月末から2月末となったので、結局1月末まで稽古&撮影をすることに。脚本で彷徨いすぎたあげく、ラストシーンの撮影当日のギリギリまで結末が決まらないこともあったし、ラストシーンの出るキャラクターが変更になったから大役1人気づけばクランクアップみたいなこともあった。役者にとってセリフ初見で撮影ってこともあったし、日程調整がうまくいかずに1日何時間もオンライン上拘束してしまったりして。

ようやく撮影が終わったとしても、その後の編集作業もギリギリまで粘って、〆切の15分くらい前にやっと提出するという。共同ディレクターのKとは、「どうする?多分Wi-fi遅くて提出間に合わないぞ?」という会話もした(笑)うちの高速Wi-fiに感謝(笑)

 

こうやって4か月間が過ぎた。短かった。長かった。

稽古と撮影のない夜はなんだか寂しかった。時間は足りなかったけど、「やっと終わった」という感じもあった。

全部出し切ったけど、自分の中では納得いかないような、不完全燃焼のようなものも残ってた。

 

 

今このブログを書くまで、稽古終了からは2か月、編集終了から1か月、結果発表から1か月が経ってしまっています。自分に自信がなくて、自分の中ではなんだかやり切れていなくて、ずっと「本当にこれは私の作品と呼んでいいのだろうか」「私ってどういう役割を果たせたのかな」と感じる部分が多くあった。

もうあのプロジェクトから時間が少し経ったから、というよりも、演劇祭の決勝戦を観て、全国でこんなにも演劇に真剣に向き合っている学生がいるって知ったから、もっと真剣に振り返らないといけないなと思った。やっと「次につなげる」という勇気が出たので今書いてるのかな、私。

まあ、そんな長い前提は置いといて、監督・脚本・演出って演劇でいうとリーダー(あんまりこの表現は好きじゃないが)や責任者に値するものだと思っていて、本当に自分はそれに見合った仕事が出来たのかってずっと疑問だった。自分の生み出せる価値を考えていた。

私の中では「役者にとっても観客にとっても自分らしく安心できる演劇環境を創りたい」と思っていたから、本当は「みんなと共に創りあげていく」という基で、みんなをまとめて1つの目標に引っ張って行きつつも、役者自身が成長につながるような導き役になれたらいいなって密かに目標にしていた。

本当に出来ていたのかがわからない。確かにみんなの演技やコメントを出来るだけ脚本に反映したし、最初と最後で演技がめっちゃ良くなった子もいる。しかしそれは本当に私がいたからなのか?

みんなが真剣に向き合ってくれたからこそ、抱えていた悩みかもしれない。

みんなのアイデアが面白くて、気づけば脚本書いてるのに自分はどの部分を書いていたのかがわからなくなる。みんなでお互いのフィードバックをいい所も悪い所も改善案も全部語るからこそ、私のコメントって本当にその人に向き合えているのだろうか、他人のを真似せずに本当に私の脳から出た唯一無二の視点なのかがわからなくなる。

こうやって稽古と撮影が進んでいけばいくほど「 自分はそこにいるはずなのにそこにいない」という気がした。自分の存在価値がわからないから、正直クレジットに私の名前抜きにしようとさえも思った。

ただ自分では時間かけたと思っているし、夢の中でお稽古していたくらいだから頭の中もこのことばかりだったと思う、だから本音は自分の作品って誇りを持って言いたいところ。だが、本当の演劇人ならもっと命を削るような勢いで脚本書いたり、リサーチしたりして命を削るような思いで向き合っているのかと思うと、自分の理想像と現実像に距離があった。

 

そういった色んな想いが心の中で巡っていたら、結果発表の日が来た。3月1日。

たまたまツイッター見ていたら、結果発表のツイートに指が止まって、そこには名前がなかった。

本来ならきっと泣くであろう泣き虫な私が不思議と一滴も涙が出なかった。むしろ安堵した気持ちが大きかった。自分の実力不足に痛感して、「このチームに私は何を貢献したのだろうか」「本気で24時間覚悟を持って向き合えたのか」って最後まで自分の価値を問い続けたし、自分に納得がいかなかった、自分が許せなかったから。(3人の私が心の中にいるみたいで、「あんだけ頑張ってたのに悔しい!」という私と、「決勝まで耐えきる気がしないから落ちてよかった」という私と、「そっか、やっぱり私の実力が足りないんだ。」という私がいた。)

 

 

やっと振り返れると思ったのは、この4か月間って間違いなく私の成長に繋げれたって自分の中で整理がついたから。数えきれないほどの泣き笑いがあって、その中でも主に思ったのは以下の3つ。

 

1つ目、演劇が大好き、そして将来絶対演劇の道に進みたい。

制作中何回もくじけそうになったし、自分をネガティブに捉えることが多かったけど、全てに共通していたことは「演劇が好きだから、もっとしたい」。初めてのことだらけでしんどかったけど、また何回でもこの感じを味わいたいと思った。

私の中のワクワクすることの軸は演劇だと改めて気づかされた。私の日常の中で私を笑わせることが出来るのも、泣かせることが出来るのも演劇だった。自分の実力不足と思想不足で悔しい結果になったから、だからもっと真剣に向き合いたい。演劇のことしか考えたくない。

この劇の主人公が放った「好きだからやるしかないんだよ」って言葉がまさに私に必要な言葉ではないかって。

 

2つ目、自分で環境変えたっていい。

制作中にKに「このキャラクターの気持ち本当にわからないから物語が書けない」という事件が発生して、そのキャラクターがこれから自分の環境を変える子で。今までの私は「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を大切にして、与えられたものや環境があれば、それをどう自分で活用するのかを重視していたから、凄く衝撃だったのが覚えてる。ただ制作終了してからこれからどうすればいいのかがわからない時にふとこのキャラクターを思い出した。「今の自分の周囲のこの環境がなければ、無理して見出すのではなく、自分から他の世界に飛び込んでいけばいいんだ」って知った。

環境に甘えずに、もっとこれから新たな挑戦に踏み出す、また、本気で演劇に向き合うきっかけになった。

 

3つ目、仲間がいたからこそここまで来れた。

上記の文章からもう既にこのことについて沢山書いてるけど(笑)

9人のメンバーたちのお陰で沢山学ばされて、アイデアもブラッシュアップ出来て、想像を超えてきた。

まさに"If you want to go quickly, go alone. If you want to go far, go together."という言葉が似合う。

気づけば私はこの言葉をいつの間にか忘れていたけど、メンバーが思い出させてくれた。愛しのメンバーたちは私が抱え込んでしまった時に画面上でも即座に気付いてくれて、話を聞いてくれて、丁寧なアドバイスをくれた。「私がこの場所にいていいんだ」という価値をくれた。最終的には、「これが私の作品です」って周りに言えるようにしてくれた。

本当にありがとう。

 

 

 結果は花を咲かせることが出来なかったし、実際に会って花束を渡すことがないから、そんな、「花束のない君へ」、気持ちだけでも花束を捧げようと思う。

 

話を持ち出してくれて、最後まで私を見捨てずに共同で脚本演出してくれて、素敵な名前とタイトルデザインを生み出してくれたK

Kを紹介してくれて、真剣にキャラクターの感情と向き合い、言葉の違和感をすぐに教えてくれたE

フィードバックをすぐに演技に反映してくれて、演じるのがとても難しい役を最後自分で操ってくれていたS

元々の雰囲気から着想得たキャラクターをさらに存在感を持たせてくれたA

安定すぎると迫真すぎる演技で場を一気に世界観に引き込めてくれたM

戸惑いを正直にぶつけてくれて、ポジティブにもネガティブにも捉えれる役の気持ちを真剣に考えてくれたY

フィードバックの仕方が丁寧で、場の雰囲気を柔らかくしてくれたN

声だけの出演でもちゃんと存在感残してくれたS

最後のギリギリまで動画編集を諦めずに付き合ってくれたK

 

1人でもいなければ、この作品は完成しなかったと思います。

本当に個性色豊かなメンバーで、みんなそれぞれが真剣に向き合ってくれたから、届けたいと思ったから、この私たちにしかできない作品をこれから誰かしらに届けることが出来る。

みんな本当にありがとう。信じてくれて、支えてくれて。

 

 

そして、最後となってしまいましたが、

こんな素敵な機会をくださった劇団ノーミーツの方々、この約5000字もするブログをここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございました。

私たちの作った作品、「花束のない君へ」、是非ご覧ください!!!!!

私たちの描いた高校生の進路・将来への不安、きっと画面の向こうのあなたも感じたことがあった日常ではないのかと思います。

www.youtube.com

 

ミカソ

Twitter: @micasso_uk

 

10年

10年と聞いて、長くも感じるし、短くも感じる。

現在20歳の私にとっては紛れもなく長い。人生の半分だもの。

今日はちょうど10年前、2011年1月16日から、私の中での大きなコンプレックスというか、人生の分岐点というか、大切な何かが生まれた瞬間というか、そんな、お話をしたいと思っています。

 

両親には「言っちゃうと生きにくくなってしまう。だからあんまり話さないでね」ってよく私に言う。だけど、私は私自身を見てほしいから、みんなに知っていてほしいから、10年というタイミングで隠さないでおこうと思う。

 

ずっと前から、いつか私に自信を持った時に、誇りをもって自分の口から私のアイデンティティについて話せたらと思っていた。

でも、自信がついてきても、なかなか勇気に出せず言うのに躊躇していた。そんなところ、友人から「third culture kidsのイベントをするからゲストスピーカーをしてくれない?」って頼んでくれたことで、より自分の中で整理して正々堂々と言えるようになりました。ありがとう。

 

 

2011年1月16日。

これは私が日本に初めて”暮らしはじめた”日。

その日までは、日本にまともに暮らしたことがなかった。

夏休みとかの長期休みでは帰ってきてたけど、それも少し観光客気分で、学校とかに行くわけじゃないので、”日本人”として日本に”暮らした”ことがない。

香港人と上海人の間に日本で生まれた私は日本国籍なのに、日本語もしゃべれない。

生後6か月で上海にある祖父母の家で祖父母に育てられた私は、親と暮らす感覚もあんまりわからない。

 

だから最初はただただ全てが怖かった。異なった言語、異なった文化、異なった背景を持つ人たち。小学校に入っても、言語が通じず、先生と英語で会話してた。ひらがな習ったばっかりで、文章もすらすら読めないから、国語の授業中は教科書を逆さまにして受けてた。友達ともうまくコミュニケーションが取れなかったり、”中国人”というレッテルが貼られてる以上、なんだか距離を感じた。

日本で暮らしていく上で、自分のバックグラウンドは社会との壁になることがわかって、小4ながらもう誰にも知られたくないって思った。だから、親から中学受験を勧められた時、こんな逃げ道があったんだって知って嬉しかった。塾では算数が得意だったけど、言語がわからないがゆえに授業中答えられなくて怒られて泣いた覚えがある。だけど塾では誰も私のバックグラウンド知らないから、同じスタートラインに立てれてる気がした。

 

無事中学受験に成功したあとは、希望通り「中高を通して自分のことを隠そう」って決意した。希望通りというよりも、自分を打ち明けた時のデメリットしか思いつかなかったので、押さえつけのような感じだった。

その時はもう日本で暮らし始めて2年経って、日本語を難なく喋れたので、周りの友達や先生にもバレずに生活できた。しかし、ある日に友達が家に来ると、私の母の日本語のアクセントが変だと気づかれたみたいで、SNSに「ミカソって韓国人らしいよ」って書き込まれた。勝手に書き込まれたのも、勝手に判断されたのも、それによって態度が変わってくるのも、あらゆる怒りと悔しさの感情が入り混じって、「なんで私こんなにも日本語も日本での生活頑張ってるのにこんな思いしないといけないのだろう」って両親に泣き叫んだの覚えてる。自分自身だけじゃなくて、家族自体に対して否定的だった。以前よりもっと人に自分のことを打ち明けるのが怖かった。

 

そんなことで気づけば中高を通して、堂々と周りに言う機会なんてなく、私の事情を知る子は本当に仲良かった子たちだけかもしれない。それでも言ったの高2の時とかだと思う。

こうやって自分のバックグラウンドをだんだん言えるようになるきっかけをくれたのは、高校1年生の時に行ったカナダで中国人の友達に言われた一言。

中国を離れて以来初めて中国人と出会って友達になれたので、思い切って、私の背景を話してみたら、「たとえ僕らの国同士が昔嫌な思い出があったとしても、あなたはあなた自身だし、僕は単に”みか”という人と友達になりたい」って思いがけない言葉が返ってきた。

はじめて自分という存在が認められた気がした。

 

思い返せば、私は周りに国のステレオタイプではなく、私自身を見てほしかったのだと思う。今もそう。

中国にいると日本人と言われ、日本にいると中国人と言われることが小さい時からよくあった。だから、物心がついた時から、「私って一体どこの人なんだろう」、「どう人格を演じれば正解なの」って自分のアイデンティティを思い悩むことが多くあった。どこの国にも属してるという感じがしなかった。そして、思春期になると「どこ出身?」とか「どこの国から来たの?」といった質問にも敏感になって、高校の弁論大会の文章では「私は~人、という言葉が嫌い」とまで書いた。

本来自分の強みになりうる部分を押し殺して、偽った”日本人”はしんどかったと思う。当時は日本人になれたって嬉しかったけど、それはただ自分を守るため、または目立たないようにするための手段の1つだった。”日本人”として扱われてもいやだし、”中国人”として扱われてもいやだ。

ずっと本当の自分を出したかった。辛かった。

 

ただ、歳を重ねて、いろんな出会いや経験を重ねていくうちに、これは私を構成する大切な一部だと思えるようになってきた。違った言語を使ってたり、違った文化の中で暮らしたりする中で、私はよく違った人格になるが、どっちも私だし、どっちもいい部分も悪い部分もある。だから、両方の国で暮らしたこと、思ったことの全てが他の人間をより理解するためのヒントだったのではないかと思う。また、様々な意見を言われて、自分の経験を悲観的に思っていたことはより人に寄り添えるためだったのではないかと思う。

これって立派な強みではないか。

 

そして、大学に入ってから、ちゃんと自分の背景を人に伝えれるようになって、かつての自分のコンプレックスは強みにもなった。誰かの助けになるのではないかと思えるようになった。私のようなThird culture kidsは意外と身近にいて、自分の背景に対して辛い思いをしていた。知った時は「私って一人じゃなかったんだ」って安堵感に包まれたのと同時に、「Third Culture Kidsは理解されにくいけど、ちゃんとした強みって自信を持ってほしい」と強く願うようになった。

だから私は、みんなが安心してありのままの自分を自信もって出せるような場所を作りたい。

 

 

最後に伝えたいことを。

これは他人事じゃない。

今この文章を読んでいるあなたには、気づいてほしい。

どの国だとしても、どれくらいの期間でも、どんな形でも、日本という国(いや、日本に限らずだけど)で暮らしていく上で、私みたいなマイノリティの人は未だに辛い思いをすることが沢山ある。だから、人に何かしらのレッテルを貼るのではなく、その人自身を見てあげて。あなたの周りにもこういう子がいるかもしれないってことを覚えていてほしい。

もしあなたがThird Culture Kidsならば、心に刻んでほしい。

あなたは1人じゃないし、きっとその経験が強みになってくるはずだよって。いつか誰かに話せれるようになったら、その経験を是非語ってね。

 

 

ミカソ

成人式

1/11、成人の日に無事母校にて行われた成人礼拝に参加することができました。(成人式だけど、うちの母校はクリスチャン学校なので礼拝(笑))

 

成人礼拝に近づくにあたって、なんだか不思議な気分になった。高校を卒業した時に「次は成人式で会おう!」って言ってた日がこんなにも早くくるなんて。この日が過ぎ去れば、もう一生会わない人が多数だし、母校と繋がれた糸が切れてしまいそうな気がした。

最近よく、中高の話をしながら、「もうそこには私がいないんだ」という虚無感に駆られることがある。卒業してから、今までずっと同じ世界だったが、一気異なった世界に入ることになった。大学がそもそも海外だからじゃんと言うかもしれないが、大学以外の場所でも色んな関わりを持つことによって、今までの自分ってどれだけ井の中の蛙だと知った。世界は想像より綺麗で広いものもあれば、想像より汚くて目をそむけたくなることもたくさんある。だから、中高の時の私の等身大の気持ちをちっぽけなものだと見なし、正直昔の自分を軽蔑することだってあった。自分はまだ世間知らずだって。

ただ戻ってみて、あの頃礼拝を受けてたチャペルの座席に座って、賛美歌を歌ったり、同級生とばかな話したりして、今でもあの時の時間が流れてるように感じ、当時の自分に少し戻ることができた。「やっぱり今の私を形成したのは紛れもなくここだな」って改めて思った。たとえ自分どれだけ遠くに行ったとしても、どれだけ変わっても、この場所はいつまで経っても私の原点であって、何かしら心が隣合わせている。

 

子供だった私(今もまだ子供だけど)から一歩階段を上ったといったところで、これからもっと世界を知って、人の気持ちに寄り添って一緒に新たな冒険に連れ出せるような大人になりたいな。変化を沢山遂げても、それまでの道のりもちゃんと大切にできる人になりたいな。

 

こんな大変な状況の中、成人式を実施すると決めてくださった母校と実行委員に感謝。

そして、20年間、私を育ててくれた両親に感謝。

有難う。これからも宜しくね。

 

ミカソ

2020

あっと言う間の一年でした。

 

想像してた予定が大いに狂ってしまったけど、オンラインが一気に進んだお陰で、今まで出会わなかったチャンスや人に沢山出会うことが出来ました!本当に沢山の機会に恵まれ、沢山の周りの人に支えられた一年。

これまで以上に新しい環境で新しい挑戦をしたことで、色んな学びを得られました。

念願の大学入学でやっと演劇について本格的に学べれて、774プロジェクトで初めて自分の制作した商品を世の中に送り出したり、VARIETASでイベントの企画、司会、新しいメンバーのサポート、オンライン演劇が出来て、、、

色んな人と関わるようになって、自分の好きなこと、強みや弱みを改めて多角的に見ることが出来て、自分と見つめあう時間も増えたのかなと思います。お陰様で自分で決めた目標ややりたいことに対して、たとえ寄り道があったとしても、たとえしんどくても、全て楽しみながら乗り越えれました✨

関わってくれた方々、ありがとうございます。


こうやってインプットとアウトプットを繰り返していくうちに、好きなことをただ単純に好きなだけでは終われないと気づけたし、好きだからこそ、もっともっとこれから真剣に向き合っていかないといけない。って自分の実力不足を思い知らされた。

 

そのうえ、新しいことに挑戦するって、過去の自分が今の自分に適応していくことだと思っていて、本当に過去の一部しか今の私を形成しない。だから過去の自分を振り返った時に「もうそこには私がいない」という寂しい感覚が生まれた。まだ高校卒業して2年くらいなのに、高校生だった頃の私とは考えることもしゃべることも物を受け入れる姿勢も少しずつ異なってくるって、「嫌だな、本当の私ってどんなのだろうか」ってぼんやりと考えたことがある。

ただこれらの経験たちが教えてくれたのは、いつも新しい環境に入るのってものすごく怖かったけど、新しい環境は新しい自分を見つけてくれるし、自己理解がさらに深まる。それって本当の私を知るのに、本当の世界を知るのに大切なこと。

 

だから、2021年は今まで以上にただひたむきに好きなことに集中し、新しい挑戦を続け、将来のことを考えながら、目の前にある小さな幸せも1つ1つ丁寧に大切にしていきたいです。

2021年もよろしくお願いします。


Semester 1 (first year)

みなさんこんにちは!年を越してしまう前に半月前に終わった1学期のことについて書こうと思います:)

IFY(インターナショナルファンデーションイヤー)とのギャップだったり、自分がまだ成長しきれていないことがあるから、2学期に向けて少し整理できればと項目ごとに書いていこうと思います!

IFYは一体学部に入ってからどんなことに役に立つのか、イギリスの総合大学にある演劇学部はどんな感じの勉強をするのか、気になる人は是非読んでください!

 

今学期の感想と授業:

去年のIFYと比べ、好きなこと出来ているから、勉強が全然苦じゃなく、新しい知識に触れられて、毎日ワクワクしながら勉強に取り組めた気がします:)日本の友達に電話した時に言われたのが「ミカソ去年よりめっちゃ楽しそうな顔できている」って周りがわかるくらいだったみたい(笑)

授業の形もオンラインレクチャー以外にスタジオ実習があったため、去年の座学とまったく異なっていて、とても新鮮で、勉強するというよりも、勉強が遊びという感覚でした(演劇はPlayとも言うので笑)

火曜日の授業にテーマに関係するパフォーマンスを1人劇の状態で演技し、フィードバックをもらってから、水曜日に2~4人のグループワークを通してみんなのアイデアと授業で学んだことを融合して、木曜日の授業で磨き上げたものをチームで発表するという流れで毎週新しいパフォーマンスを作っていったの凄く楽しくて、こんなに短いスパンでパフォーマンスが生まれて、そして磨き上げていくことができるんだって毎週のように感動してた✨

これ以外の授業は、あらゆるパフォーマンスを見ることがとにかく多く、舞台上だけに限らず、色んな形のパフォーマンスをどう分析するのかについて学ぶ授業がありました。例えば、空間がどう働くのか、時間がどう働くのか、パフォーマーとオーディエンスの相互関係はどうやって生まれるのか、パフォーマンスが社会にどう影響するのか、などなど、制作に作るのにあたって考慮しないといけない部分も学んだので、他の生徒は全然実践させてくれないって嘆いていましたが、私はこういう分析することが大好きなので、何気に一番好きな授業だったかも(と言いつつ全部の授業が好き!笑)
 

IFYを経験してよかったこと:

大学のこと(サイト使い方とか、図書館の使い方とか、参考文献の書き方とか)は全部IFYでやっていたから、それらをはじめて扱う周りの学部生よりストレスなく接することができたし、何より親元を離れて、異国の地で暮らすというのが早くも二年目なので、どういう勉強方法が自分にあっているか少しわかるようになったり、ストレスの向き合い方も自分なりにうまくなった気がする!

不安だったこと、どう乗り越えていけたのか:

去年は留学生に囲まれて、みんながお互い英語が良くないのを知っているから、繰り返し何度も説明したり、躊躇なく質問できる環境があったのに対し、学部に入ってのクラスは私以外全員イギリス人で、想像よりも、みんなアクセントが強くて、容赦なく意見の出し合いをしているから、最初は発言どころか、聞き取りすら難しくて、ディスカッションに入れないことが多々あって、自分に英語力が足りない、基本的な知識がないって悔しかった。

でも去年の私なら落ち込むはずだけど、ここはしっかり去年の経験を生かして、とりあえず落ち着いて自分の何が問題なのか、何が不足しているのか、何をそう改善していけばいいのかを考えながら、何かしら対策をしていけるようになった。例えば、すぐにわからないところとか助けてほしいところとか先生に聞くようになったとか、足りない部分のリーディングを自主的に出来るようになったと思う。

 

今までの演劇についての考えの変化:

①今まで演劇は自分なりの解釈で見てたけど、実際に分析論を学んで、共感できる部分もありながら、知らなかった部分をたくさん知って、今までより演劇をもっとクリティカルに分析することが出来た。パフォーマンスを分析する課題が多かったのだけど、どんな課題を通じて、復習しながらも色んな観点からパフォーマンスを見ることが出来たので、評論も演劇の作る過程って知って、興味も今まで以上に持つようになった。

②幅広いパフォーマンスの枠を知ることが出来て、これからもっと演劇内で色んな分野について知りたいと思った!舞台上だけじゃなくても、日常生活に潜んでいる演劇がたくさんあるから、少し演劇に近づいた気がするし、演劇の知らない人に演劇の良さに気付いてもたいたいからこそ、これは何かしらのヒントになる気がする。
③もともとはずっと裏方でいようと思っていたが、実際に毎週表に出てパフォーマンスすることで、裏方を知るにはもっともっと表のことを知る大切さを知った。演じる”だけ”と思っていたけど、決められたことをやるのも想像以上に難しいし、セリフ1つからの読み取るキャラクターの感情、性格、状況を考えながら表現するのって思ってたより伝わらない。日によって全然演技が安定しない。裏方志望の私にとっては、この発見ってもしや世紀の大発見ってくらい衝撃で、これを自ら経験して理解すると、その場の雰囲気作りや演者のポテンシャルを引き出すのにすごく大切って知った。表の深さを知って、もっともっと挑戦していきたいなって思った。

 

もっと改善していきたいこと:

今学期は自信がなく、反論されたら言い返せず、結局相手の意見に多く流されることがあったのでは?と思う。できない・わからないを言い訳にまだ自分が爪甘いところってあるから、しっかり自分を突き通していきたいし、いつまでも自分にハンデがあるという意識を持たずに、もっと積極的になりたい

(難しいから、少しずつ、明確な目標を持ってやっていけたらいいな:))

 

いかがでしたでしょうか?

どれもすごく新鮮で、演劇にワクワクを持つ一方、来学期は自分の弱みともっと真剣に向き合っていきたいなと思います◎

 

ミカソ

共感だけではできないこと

共感、”他人の気持ちや感じ方に自分を同調させる”ってこと。

相手がつらいって言ってたら、相手がつらい思いをしてるんだって思ってるだけでなく、自分自身もつらい気持ちになる。

これだけで足りるのだろうか

 

演劇を通してキャラクターを作っていたら気づいた。

その人に共感だけではなくて、その人のバックグランド、持つ感情の全てを理解していないと作れない

 

それは私たちが普段の生活を過ごしている中でも言えることだなって思った。

 

最近人間関係がうまくいかないなって思うことがある。

今までは中高一貫校の中で、周りが元々ある状況似ていたり、自分の在り方形成(青年期に行われるから)をしていく中で同じ環境だから、中学の頃や大人の世界に対する戸惑いはともかく、高校生になった途端、そんなことに悩むことは少なかった。

だけど、今年は沢山違うバックグラウンドを持つ人と沢山関わることが出来たから。

共感は足りていても、その人のことについて知れなかったり、どういったスタンスで生きているのか、どういった背景でどういった心の持ち用なのかがわからない。だから、自分は理解していると思っていても、なかなか相手への共感の先の段階にいけないことがある。トラブルが起こることだってある。

そこで昔友人に言われたことを思い出した。

「話聞いてくれる存在とか、共感してくれる存在はいくらでもいる、私がほしいのは私の背景と足跡を見てくれる人。」

ああ、1人1人に心と心がくっつけていけるような、寄り添えるような存在になれたらな

 

映画の中のトラブルはだいたいコミュニケーションだって言われる、昔はなんでそうなのかはわからなかったけど、今なら少し理解できるような気がする

 

 

演劇の素敵な言葉たち

みなさんこんにちは!ミカソです!

ここ数週間、舞台とパフォーマンスを学んで、いくつか考えさせられた言葉について書こうと思います。

 

観点はアートにとっては馬勒、船の舵みたいなものである

Leonardo da vinciの言葉、経験は知恵の始めって意味らしい

アートは経験ベースなことが多くて、問題意識があるからこそ、そんな出来事があったからこそ、表現する

だから、自分の持つ経験ベースの視点は自分のアートの基になって、とても些細なことでも色んな表現の場に繋がって、自分の日常に着目して観察することが大切。

 

あとは、同じようなことをSimon McBurneyも言っていたけど、人は大人になるにつれて、環境に影響されてだんだん表現の幅が狭くなる、悲しいけどその人なりのバックグランドをもとにしか演じれなくなってしまう。

だから他人の声を聞きなさい、そして観察しなさい。って

 

経験が作るからこそ、色んな経験に触れることが見方を偏らせないことになる

いくら観客も参加できるのがパフォーマンスがいい所といえども、どうしても受け身になりがちになってしまうため、偏見になってしまわないってこと以外にも、多角な意見(またはオープンな意見)を与えて、想像力をアクティブにすることが出来る。

 

パフォーマンスは過去、現在、未来である。’~として’と’もし~’の間である

演劇パフォーマンスの中でとても重要とされるのはTimeである。時間。今はテクノロジーの進化のお陰で、同じ空間で一気に違う時代だったり、違うディメンションを感じとることができる(割と最近のトレンドはそう)。

 

例えば、たった’今(現在)’の時間で、’未来’のことを演じているけど、0.1秒でも過ぎたら、それは’過去’となっていく。

’もし~である’って仮定したら、舞台上で’~として’表現される。現実と非現実の間でもある。

(↑この解釈は一番しっくり自分に来たんだけど、舞台はいつも現実世界で非現実をのぞかせてくれて、そして物語の内容を自分にある現体験に寄せることができると思っているから)

 

その瞬間の場所、言葉、時間とかに合わせて、違う意味にもなりうるから解釈が異なってくる。パフォーマンスってはかない。だからこそ生の魅力がある。

 

 

観客がいないとパフォーマンスはなり立たない。

パフォーマンスの定義とは、パフォーマーと観客がいること。日常生活がパフォーマンス。例えば、人と話してる時でも、私と相手の両方ともパフォーマーかつ観客とも言えるし、今日街ゆく人々を観てたら、私が観客で、見知らぬ人がパフォーマーである。

このように定義がすごく広くて、私自身も未だにパフォーマンスの定義について問うことが多い。

ただどのようにしても、忘れてはいけないのは舞台演劇、パフォーマンスの一番の魅力って、やっぱり同じ場と時間にいる、観客とパフォーマーが関係を築くことができること。Theatre is live performanceって定義づけできるくらい

 

だから常に観客が一体何を求めているのか、観客がどのような役割を果たしているのか考えなければいけない。

そしてエンゲージメントは単に発言したり、アクションを起こしたりと限らずに、例え受け身の観客だとしても、想像力の面で少しでも働かすことができたら、または、そのパフォーマンスを観るという選択肢を選んだら、それも参与していると言える。

 

それを意識しながら、作られる演劇ってさらに観客とのつながりを強くして影響できるのやろうなあ

 

 

 

3つの心に残った言葉を自分の解釈と交えながらのブログでしたが、どうでしたか?

経験をすること、時間軸を考えること、観客を考えること

演劇って思ってたよりはるかに奥深い、まだまだこれから探求していかねば

 

また演劇のことについて書こうと思います:)

ミカソ

 

 

 

first year (week 5)

皆さんこんにちは!お久しぶりのブログを書きます:)

 

もう大学一年生が始まって5週間が経ちました!!はやい!!

久々の近況報告をしたいと思います~!

 

約6週間前のオリエンテーションウィークの初日に学部長言われた’You are exceptional(あなたは格別だ)’という言葉、若干母校と同じこと言ってるなあって思いつつも、今は自信がなくても、3年後には自信持って'I am exceptional'って言えるようにしたいって決めた。

頑張ろう、IFYで学んだことを生かせれるのかなって期待した気持ちとは相反に、さっそくのぶつかった壁はまさかのコミュニケーションでした。

学部の約90%はイギリス人で(約50人中、ロシア人1人、スイス人1人、中国人2人と私の1人の他に全員イギリス人という(笑))、もちろんグループ分けなんてされたら、グループもクラスも私以外イギリス人(笑)

授業中のディスカッションがあまりにも毎回白熱しすぎて、会話に入る隙間なんてないし、先生と生徒の会話中に専門用語が飛び交ってて、討論が最初の3週間ほど全然理解できず、先生が何言ってるか、リーディングは理解してるはずなのに、いざセミナー形式になると、言葉が出てこない

質問がオープン形式で、みんなでディスカッションして、それぞれの理解を深める。

「これが私の求めてた環境だったはずなのに、いざ意識して体現することってなんでこんなに難しいのだろう」

「なんで去年あんなに勉強してたのに、出来ないんだろう」

「ああ、去年インターナショナル学生ばっかりなのに、超病んで、甘かったなあ、私」って思った、今でも少し思ってる部分はあるけど(笑)

「あかん、そういう言い訳したらあかんねん」って思って、いつも授業終わって落ち込む前にとりあえず先生にコンタクトしてみるようになった。「私の理解はこれであってますか?」とか、「ここがよくわからなくて、Office hourで説明してくれませんか?」だったりとか、去年と比べたらメンタルをコントロールしたり、とりあえず何か対策して、次に繋げたりするのがうまくなったから、泣くことも、病むこともなくなった(多少落ち込んでも2時間後には回復してる(笑))

そうしていたら、少しずつ分かってくるようになって、質問したら、先生とクラスメイトに「その質問いいポイントついてる」だとか、これから少し自信つきそう、、

 

よく日本にいる親と友達に頑張りすぎてないか心配されるけど、ただただ勉強が楽しくて、演劇について知れば知るほど分析するのが楽しくて、課題をするのが楽しくなってしまうほど、毎日元気に勉強してます(笑)(まだそんなに課題のピークが来てないからだと思う(笑))

※ちなみに先日フラットメイトにも先生にも「自分にストレスかけないで」って言われたけど、自分でもそんなこと感じれてなかったので、無理しないように気を付けます、、

 

好きなことを好きな環境でやれるって幸せだ~~!!!!!

 

またブログに授業や課外活動等について書きますね:)

 

ミカソ

 

 

 

 

選択肢の話

こんにちは!ミカソです!

今日は選択肢について思ったことについて書こうと思います。

 

自分にもっと色んな選択肢たちやきっかけがほしいって思い始めたのは高3の時で、当時は先輩に勧められて参加したおおさかグローバル塾で初めて同い年でもっと頑張っている高校生がいるのを知った。そして、周りが自分の夢に向かって実際に行動に起こせているのを知って、私も頑張ろうと思って色んなプログラムを調べ始めた。

ただ、高3の後期に調べても、すでに手遅れのものが出てくることが多くて、「ああー!!もっと早く知りたかったー!!」ということが多かった。

 

今でも私自身と似たような活動をしている子たちの過去を聞いてみると、高校生の時からすごく活発に色んなことに挑戦していて、その経験がちゃんとその人の人生に生かされている。

聞いた時はなんだか悔しかった。なんで私って高校の時からもっと知ろうとしていなかったのだろう、もっと学校の勉強以外で何かできることはあったのではないかと思った。もっと色んなことが知りたかった。広い世界をみてみたい、何かの人生の舵を切ってみたい、少し寄り道とかしてみたいと思った。

 

 

そして、この夏はたくさんの選択に迫られた。

短い期間でこんなに自分で取捨選択したのは初めてで、1つ1つ、その度に考えて、丁寧に向き合ってきたつもり。

全部責任や時間が伴ってきて、自分にとっては軽くない選択だからこそ、毎回時間をかけて悩んで、考えたりした。

その時その時はなんでこんなに考えないといけないんだろうとか、なんで私はこんなに優柔不断でずっと決めれないのだろう、迷うのだろうって考えてた。

たまにやらなきゃ後悔するって直感で感じることもあって、とりあえず選択して、自分の必要に適応していくというケースもあるけど(笑)

のちから思えば、このように何かしらのきっかけで選択肢を与えられて、どの道に進むにしても、自分が毎回真剣に悩むほど自分のことを見つめなおす機会になるから自分のためにもなるってことに気付いた。

選択肢って有難い。

 

高校3年生の私が願っていたことがちゃんと行動にうつすことが出来て、自分から調べて、自分から考えて選ぶことができた。

外の世界はもっと広くて、色んな挑戦の場があって、もっと自分と社会を知れるチャンスが沢山がたくさんあった。

 

だから私はきっかけを作りたいと思った

一歩踏み出すきっかけとなるような、

何かその人の生活を少しでも彩れるような選択肢を与えれることができたらいいなって

そしたら自分の居場所が見つからない人も、自分の居場所を見つかることができるのかな

 

ミカソ

日本滞在期間の振り返り

みなさんこんにちは!ミカソです:)3月からおよそ半年間、日本に滞在していましたが、ついにイギリスでの大学生活が始まったので、この半年間何をしたのかを少し整理して、次のステップに踏み出したいと思います。(独り言みたいな、記録ブログです)

 

3月

課題に追われてる中だったのに、いきなり日本に帰国することに。

コロナウイルスの状況にパニックしているのか、隔離期間中は心がなかなか休めれなかった。なんだかずっとうわの空。だけど、色んなことを考えた。自分の将来だったり、長い休みの間に達成したいことだったりと。

 

4月

半年間も日本にいたら、何ができるのだろうか、どう活用していけばいいのだろうか、人生においてやりたいことと今やるべきことをまとめてみたら、やりたいこと渋滞してた。舞台演劇専攻のはずなのに、突如、私のキャリアにはビジネスの知識も必要、言語の力も必要、世界の建物や歴史も知らないといけない、たくさんのインプットとアウトプットを繰り返していかなきゃってとにかく焦ってた。私はこの期間のことを「人生迷子状態」って呼んでる(笑) この状態のなかで、774プロジェクトと出会って、まだ何も知らないけど、ビジネスの力つけてみたいし、舞台にはチーム協力というのは必須だし、ゼロから作ってみたいという気持ちで始めた(のちにまったく異なる発見の連続だったけど(笑))

それと同時に以前やっていたスぺイン語の勉強も再開して、新たに世界遺産検定の勉強も始めてみることにした。

イースター休みで、人に会っていないはずなのに、あんなこんなで忙しくて毎日睡眠不足の連続だった(笑)自分をもっと大切にしようねって今なら言える。

 

5月

大学の課題と774プロジェクトを爆速で進める。成績に入らないけど、提出する課題は全て自分が興味あることだったから、めっちゃ調べてた。毎日起きて勉強して、バイト行って、勉強して、大学の授業受けて、774のミーティングと作業というループ(笑)

774においては、全てが初めてで、学ぶことしかなかった。もっともっと学んでやりたいってなりながら毎日目まぐるしかった。ひたすら想像力を働かすのが好きだから、アイデア出していくの楽しかった。全然決まらんかったけど(笑)そしてプロジェクト開始一か月でほぼ商品完成した。今思えば、もう少しプロトタイプとか作れたやろって(笑)

 

6月

商品販売直前にして何すればいいのかわからなくなって、1人で悩み始める。最初は774の悩みなのに、だんだんとまた人生について悩み始める(笑)

色んな人に相談して、助けてもらった。結果的に、自分に休みを与えるようになって、人に頼るようになった(これはめっちゃくちゃ成長)。そしたら、その後からプロジェクトをするのが少し楽になった。たくさんヒアリングして、商品販売を開始して、自分たちで初めてイベント開催できた。

月の最後にはVARIETASという団体に属するようになった。

 

7月

VARIETASでは、アイデアソンの運営になり、774と並行して活動するようになった。最初はまったくの新しい環境に慣れず、自分でなんとかしようって焦るあまり、毎日深夜まで作業したりしていたら、ある日突然キャパオーバーして、何をしようとしても出来ず、ひたすら泣いた。さすがに危機を覚えて、ちゃんと自分も人間なんだって思うようになって(笑)、休むようになった。毎日ひたすらこんなのやめたいと思う反面も、これをやり遂げたら絶対自分に自信がつくようになって、成長が出来るって信じてやりぬいた。心理的安全性の大切さに気付いたのはこの頃かなあ。

774も最後の駆け込みをしたりして、最後まで諦めずにやりきったとも言えるのであろうか。自分的には成長できたチャンスだと思ってる一方、もう少しうまく回せたのではないかと思う。まあ、この後悔も記憶に残しておきたい。

 

8月

イデアソンの活動を第一優先にしてた。休みなし、精神状態と体の状態ギリギリ毎日パソコンとしか向き合ってないけど、めっちゃ充実してた。多分人が成長して自分らしく頑張れる瞬間がみたかったのだと思う。

最後の本番ではまさかの司会をすることが出来て、普段の私からしたら考えられないけど、すごく楽しかった。緊張しながらも、ちゃんとワクワクしてた。参加者から参加してよかったとの声を聞いて、ここまで頑張ってよかったって思えたし、もっとこう改善しておく点があるって考えながら終わった。これも7月の774と一緒でまだ成長の余地がありそう。

てかなんで私いつもそんなに精神状態ギリギリで行こうとするん?もっと自分が自分をうまく扱ってほしい(笑)

 

9月

ひたすら会いたい人に会った。母校に帰る機会もあったりして、「あ、ここって私の原点なんだ」とか考えてたりもして、さらには夏休みのあったことを振り返りながら、「私がやりたいこと」だったり、「私の強み」、「私のキャリア観」などについてさらに深く考えることが多かった

あとは友達から撮影依頼が来て、初めてスタジオで自由に撮ってもらったり、心理的安全性を作りたいという理由から、VARIETAS内でも心理的安全性を作る場を作ってたりとか、さらにまた新しいことだらけで気づきが沢山。

 

日本にいて、普段自分がする勉強とは全く異なる勉強を、ただ座学だけでなく、実際に行動にうつした夏。

まだ足りないと思うけど、今の自分にとってしんどい道をあえて選んでみたりした。そして一生懸命、私なりに向き合ったつもり。

もっと成長する余地があったと思うけど、実際には沢山成長したと思う。

これからも何かに夢中で私らしく寄り道しながらも頑張れたらいいな。